クイズに答えてマレーシアリゾート
(2001年12月6日〜2001年12月12日)

2001年12月06日(木)

[天気: くもり] (クアラルンプール) 8,142歩

マレーシア旅行日程

クイズに答えると抽選でマレーシア旅行が当たる、というのに同居人が申し込んだら、なんとと本当に当たってしまった。というわけで今日からマレーシア旅行である。飛行機の日程は以下の通り。

NRT: 成田、KCH: クチン、KUL: クアラルンプール である。

飛行機が揺れたりしませんように‥‥。

何とか出発

朝5時半に起床して、6時半に家を出発する。成田空港は遠いのだ。中央線で神田に出て日暮里へ。そしてスカイライナーに乗る。途中で、昨日買った今日の朝食のパンを家においてきてしまったことに気づく。帰った頃にはもう食べられないな。

空港に到着し、出発ロビーに向かう途中、いきなり乗っていたエスカレータが急停止する。びっくりした。

なんだか初日から小さいハプニングがあるなと思いつつ、先に進む。出国カードの記入もなくなって拍子抜けの感じで手続きを終え、いよいよ搭乗。席についてやっと一安心と思ったら、読書灯がつかないことに 同居人が気づく。幸い空いていたので、席を移ったのだが、どうやら電気系統の調子が悪いようで、機内後ろ側では読書灯だけでなくビデオのスクリーンも映らない。まあいいんだけどね。

というわけで、いろいろありながらも定刻通りに出発。

機内食

今回は経由地が多いせいで往きの飛行機で何度も食事が出てくる。全部残さず食べるのが目標だ。列挙してみよう。

成田・コタキナバル間の昼食

成田・コタキナバル間の軽食

夕食も機内食だというのに、おやつの時間にこれだけのボリュームの「軽食」が出るってどういうことなんだ。

ハプニング発生。そして軽食

このまま無事到着するかと思ったらそうはいかなかった。着陸間際になって「この飛行機は機体の不具合のため、コタキナバルから先は別の飛行機に乗り換えていただきます」とのこと。コタキナバルに経由するのは予定通りだが、そこからクアラルンプールまでは国内便に振り替えられてしまった。しかも、「後方の座席の方は着陸前に前方の席に移っていただきます」なんて言われる。無事着陸したからよかったが、いったい何だったんだろう。こわかった。

で、振り替えられたクアラルンプールまでの便だが、予定より遅いため、今度はクアラルンプールからクチンまでの便への乗り換えに間に合わない。まあ、すべては航空会社の責任だからうまくやってくれるとは思うのだが、預けてある荷物だけちょっと心配。

コタキナバルの空港では、待ち時間の間に無料の軽食が提供された。というわけで、

コタキナバル・クアラルンプール間の夕食

今回は 同居人が楽しみにしていたカレーの軽食である。

そしてクチンにはたどり着かず

クアラルンプールに到着してすぐ、トランジットカウンタに行く。預け荷物を取ってからチェックインカウンタに行けと言われたが、荷物は一向に出てこない。ターンテーブルも止まってしまったので、ロストバゲッジのカウンタで訊いてみたところ、「わからんがたぶん荷物はクチンまで行っているからとりあえずクチンまで行きなさい」と言われる。すぐにチェックインカウンタまで走ったのだが、結局最終便には間に合わず、クアラルンプールで一泊することになった。ああせっかくのクチンヒルトンエグゼクティブスイートが‥‥。

クアラルンプールのホテルのグレードを上げてくれと粘ったが、豪華で空港に近いパンパシフィックは満室とのこと。仕方なく、普通のホテルのコンコルドインに泊まることにする。このままでは納得いかないので、フライトをアップグレードしてくれと言ったのだが、それは明日のフライトの前に言わなければ処理できないとのこと。では明日の朝に第2ラウンドで戦うか、と思ったが、明日のフライトは早朝5時40分。そんな気力があるとは思えない。

とりあえず、宿に着き、クチンのヒルトンホテルにキャンセルの連絡。明日行く予定のバタンアイへの移動手段はヒルトンの方で何とかしてくれるとのことで一安心。

時刻はすでに0時。そして明日は4時出発。寝る時間ないぞー。とほほ‥‥。



2001年12月07日(金)

[天気: はれ] (クチン) 7,858歩

朝から事件発生

予定通り3時過ぎには目が覚め、シャワーも浴びて万全の体制でホテルの部屋を出て、フロントにチェックアウトに向かう。フロントに人影がなくてどうしようかなあと思っていたら、なにやら大声で叫びながら女性が走ってきた。ひどく怯えていて、何か必死になって助けを求めてきているのだが、彼女は興奮していて状況がよくわからない。

そこに男性登場。どうやら彼は我々を空港に送ってくれるバスドライバーらしい。ところが、その女性は彼が突然部屋に入ってきて襲われそうになったと言うのだ。我々に助けを求めるが、現場を見たわけでもないし、他には誰もいないし、どうしていいのかわからない。

結局、すったもんだの末彼女は我々と一緒にチェックアウトし、その男性の運転する車で空港まで送ってもらうということになった。彼女を一人にしないためにはそれしかなかった。

車は無事空港に到着し、彼女も警察に行ったようだ。我々も予定通り空港に着いたし、とりあえず解決‥‥ということで本当にいいのかな。いきなりああいう場面に出くわすとどうしていいのか本当にわからなくなってしまう。

朝からすっかり疲れてしまったので、ホテルキャンセルの代償として航空券のアップグレードを要求する計画は中止。

そういえば、チェックアウトの時に昨夜の電話代を払わずに来てしまった。一応男性には「電話代をまだ払っていない」と言ったのだが、まあそれどころではなかったしな。

荷物発見

クアラルンプール発5時40分のクチン行きと言えば、前回クアラルンプールの空港で朝まで時間をつぶして乗ったのと同じ便ではないか。まさかこんな形で同じ便に乗ることになるとは思わなかった。

それはともかく、今回は機内食もなかなか美味しくてよかった。朝から食べるメニューとは思えない気もするが、ちょうど空腹だったので満足度も高かった。

定刻通り到着。イミグレーションを終えて、昨日のうちに到着していたはずの 同居人の預け荷物を探しに行く。すると、探すまでもなく、目立つところにどーんと置かれているのを発見。さすがに派手なオレンジ色のスーツケースは目立つのだ。

荷物が見つかったら、なんだか狂っていた歯車が元に戻った気がした。ここから先は平穏な旅になるといいな。

バタンアイリゾートへ

昨夜電話で確認したとおり、空港の出口では我々の名前が書かれた紙を持った人が待っていた。ワゴンに乗っていざ、バタンアイリゾートへ。バタンアイはヒルトンホテルが開発したリゾート地で、ダムによってできた湖のほとりにロングハウス風の宿泊施設が並んでいる。噂によればかなりの赤字を生み出している場所らしい。

空港からは車で約4時間かかる。これだけでも赤字の原因がわかる気がする。車は我々2人とドライバーだけを乗せて進んでいく。2時間ほど行ったところで食事休憩。アイスのコーヒーとミーゴレンを食べてやっとマレーシアに来たという実感がわく。考えてみれば、昨日の午後にはすでにマレーシアに到着していたのに、機内食以外の食事は初めてである。ついでに、市場で売っていたドリアンも小さいのを1つ買い、2人で食べた。甘くてうまかった。

さらにバスで約1時間半行ったところで桟橋に到着。ここから船で10分ほど進むとバタンアイリゾートに到着する。チェックインしようとするといきなりウェルカムドリンクが出てくるあたりがいかにもリゾート地である。部屋はロングハウス風のなかなかすてきな部屋で、寝不足で疲れ切った体を休めるのにちょうどいい。エアコンをつけなくても窓を開けてファンを回すと涼しくて気持ちいい。

シャワーを浴びて昼寝。睡眠時間を取り戻そう。

宿泊客が少ない

一眠りした後、プール横の椅子に座りのんびりくつろぐ。泳いでいる欧米人夫婦がいたが、我々にはちょっと涼しすぎるがしたので今日は泳ぐのはやめた。横では麻雀をしている人達もいる。何ともアジアらしい光景だ。

しかし、我々が確認できた宿泊客はこれで全部だった。夕食を食べに食堂に行ったときも他の客を見ることはなかった。これだけ大きな施設で宿泊客がわずか3組なんて、本当にやっていけるのだろうか。

本日の夕食

夕食はかなり高くついた。リゾート施設の周りに店などまったくないので、選択肢がないのだ。

味はまあまあだったが、値段は通常の5倍ほどもする。さすがリゾート。



2001年12月08日(土)

[天気: はれ] (バタンアイ) 6,511歩

アメリカンブレックファスト

朝食は今回の宿泊券についているので無料である。普通に食べると35リンギットの食事はものすごく豪華で、パンは1つも口にしなかったにも関わらず、2人前を一度に食べたような気分になった。

ロングハウス訪問

昨夜予約したボートに乗り込んでロングハウスへ向かう。ロングハウスは首狩りで有名なサラワクの少数民族であるイバン族の家で、十数軒の家がずらっとつながっていて共同生活をしている。ロングハウスはこの辺りでは一番の見どころで、我々も迷うことなくこのアトラクションを選んだのだが、ボート1そうをチャーターするのに料金が260リンギット、約7,800円というのはかなり高い。他の客はいなかったから、我々2人で分けても3,000円以上はする計算になる。まあ、宿に無料で泊まっているからまあいいか、とついつい財布の紐もゆるんでしまう。

屋根のないボートで約1時間、途中で鳥や蜂の巣などを見ながらロングハウスにたどり着く。ここは築60年近いそうで、この辺りでは一番古い方だそうだ。もうすぐ建て替えるとのことで、この古さが見られるのはラストチャンスである。

家の周りではイノシシや鶏などが走り回っている。もちろん、食材である。今日は家の長が不在だそうで、その奥さんに持ってきたおみやげを渡す。みやげはツアーの予約時にホテルの方で用意してくれた袋菓子だ。家の中を見せてもらったり、民族の伝統的なダンスを披露してもらったり、一緒に踊ったりと結構楽しめた。 同居人はアンクレットを買っていた。

帰りも約1時間、炎天下をボートは行く。宿に着く頃には腕と顔がすっかり焼けていた。

リゾートに来たからには

高い昼ご飯を食べて、部屋に戻り一眠りする。夕方、日が少し傾いてきた頃に起き出して、プールに行ってみることにする。せっかくリゾートに来たのだから、やっぱりプールには入らねばなるまい。今日は天気もよくて絶好のプール日和である。

水着に着替えてプールサイドに立つ。まずは準備運動というあたりがいかにも日本人的だ。水は思っていたよりずっとぬるくて、水中の方があたたかい。とりあえずクロールで1往復したら何となく満足してしまい、あとは歩いたり浮いてみたり、プールサイドで写真を撮ったりしてのんびりと過ごす。

土曜日だからだろうか、宿泊客も増えてきたようで、中国語を話す人達もプールで泳ぎを楽しんでいた。このくらいはにぎやかな方が楽しい雰囲気になるというものだ。

1時間ほど楽しんで部屋に戻る。

夕食と満天の星

さて、夕食である。今日も昨日と同じメニューの中から、今回は魚を選んでみる。これが大当たりで、甘酸っぱいソースとガーリックライスの組み合わせが絶妙だった。リゾートでは最後の夕食ということで、デザートも頼んでみる。ピサンゴレン(バナナの揚げたもの)とアイスクリーム。こちらも最高にうまかった。

部屋に戻ろうとしたら空に星が出ているのが見えた。暗いところに行けばもっとたくさん見えるかなと思い、照明のないロングハウスのテラスの方に出てみたら、もう本当に数え切れないくらいたくさんの星が見える。急いで部屋に戻り、眼鏡をかけてあらためて外へ出た。こんなにたくさんの星を見たのは、今はなき渋谷の五島プラネタリウム以来である。本物の空では初めてかもしれない。日本で見るのとは角度もかなり違うせいか、どれがどの星座かはあまりわからなかったが、とにかく星の多さには感激した。

これを見られただけでもここに来てよかったと思えるくらいの感動だった。



2001年12月09日(日)

[天気: はれ] (クチン) 18,819歩

朝食・二度寝・そしてクチンへ

昼食が遅い時間になりそうなので、朝食もちょっと遅めにとることにした。朝食前の時間を利用してちょっと散歩。端まで歩いてみると、バタンアイリゾートはかなり大きいことがわかる。

昨日と同じ朝食を食べて部屋に戻り、ついつい二度寝。起きても特に何もせず部屋にいた。日曜日のテレビは日本のアニメーションが人気らしい。

12時にチェックアウトして船で対岸へ渡る。そして先日のドライバーと再会。一路クチンへ向かう。

途中で寄った食堂も往路とまったく同じ店だ。今回はトマト味のミーゴレンを食べる。あんかけ風で結構美味しかった。

延々と走り続けて、クチンのヒルトンホテルに到着したのは17時半頃だった。座っているだけだが、結構揺れたし、疲れたな。

懐かしのクチン

チェックインして部屋に案内してもらったのだが、招待のレターに書いてあったexective suiteとは程遠い普通の部屋だった。ちょっと変だなと思い、フロントで確認したところ、めでたくスイートの部屋に変更となった。きちんと主張しないと損をするというのの見本のようなできごとだ。

スイートの客用のラウンジに行ってみたものの、いまいち落ち着かず、すぐに外に出てしまう。クチンの街は前回の記憶通り蒸し暑くて懐かしい。おなじみのネコの像に挨拶をしに行くと、首にリボンをつけられていた。ラマダン明けのお祭り用の装飾らしい。

恒例のショッピングモールめぐりをしてから夕食。チキンライスと小豆のジュースをいただいた。その後、店を出たら珍珠ミルクティーの店を発見。早速入ってみて、チョコレート味の珍珠ミルクティーを飲んでみた。うまいけどちょっと甘過ぎかも。

最後はスーパーマーケット「百盛」で買い物をして宿に戻る。

荷物をチェックしたら

スイートに戻ってきて、さてシャワーでも浴びるかと荷物を見たら、 同居人が、「スーツケースの鍵の番号が999に揃っている」という。誰がいじったのだろうか。それとも偶然揃ったのかな、などと言いながら自分のバックパックを調べてみたら、洗顔道具を入れたポーチのファスナーが開いていた。

確信はできないが、誰かが荷物をいじった気がする。もっとも、貴重品はほとんど持って歩いているので服くらいしか入っておらず、盗るものもなかったのかもしれない。いや、ノートパソコンが入っていたな。これが盗られなかったのはラッキーかも。

やはりスイートに泊まる日本人は金持ちだと思ったのだろうか。期待してきたであろう泥棒は私の汚いバックパックを見て失望したに違いない。

もっとも、本当に誰かがいじったのかどうかは不明である。

体重計発見

ベッドルームのクローゼットを開けたら体重計が出てきた。すばらしい。が、予想通り太っていてかなり悲しい。



2001年12月10日(月)

[天気: はれ] (クチン) 22,985歩

ホテルの朝食

ホテルの朝食はバイキングだった。最初にトーストやソーセージなど無難なものを取ったのだが、その直後にナシレマなどマレーシア料理がちゃんと用意されていることに気づく。もちろん2回目にそれらを取りに行き、食べる。結構たくさん食べたな。

サラワク博物館

フロントに電話してチェックアウトを13時に遅らせてもらってから、午前中はクチン最大の見どころと言われているサラワク博物館に行く。博物館は新館と旧館に分かれており、かなりの規模のようだ。

以前クチンを訪れたときに通った川沿いの道を懐かしい気分で歩き、やがて博物館に到着。まずは新館に入る。ボルネオ島の動植物や少数民族の楽器、衣装、生活習慣などが展示されていてなかなか興味深い。

さて、次は旧館に‥‥と思って行ってみたら休館だった。建物自体を改装工事しているようだ。年中無休でやっているとガイドブックにあったので安心していたのだが、思わぬところではまってしまった。これは、もう一度クチンを訪れろということなのだろうか。

セレンバンへ

ショッピングモールでおみやげなどを買ってから、ホテルをチェックアウトし、タクシーで空港へ。サラワクともお別れだ。空港でもいくつかみやげ物屋をみたのだが、欲しい物が見つからなかった。

同居人はかごを買っていた。

機内食を食べない人々

国内線でもボルネオ島と半島間のフライトには軽食が出る。昼食を食べていなかった我々はもちろん喜んで頂くのだが、私の隣に座った人も含め、多くの人が食事を断っている。そう、今はラマダン。イスラム教徒は日が沈むまで食べ物を口にすることはできないのである。

何となく後ろめたい気持ちがありつつも、我々まで断食につきあう理由はないので、ありがたく頂くことにする。チキンカレーは機内食にしてはかなりうまかった。

しばらくすると、食事をとらなかった人達には機内食を袋詰めにした物が配られた。日さえ暮れれば彼らも食事ができるのである。さすがイスラム教徒の国マレーシア、このあたりの準備は完璧なのだなと感動した。

バスは見つからず

クアラルンプール国際空港に到着したら、バス乗り場に行く。セレンバン行きのバスを窓口で訊いてみたのだが、ないとのこと。仕方なくタクシーで移動することにする。半分は予定通りでもある。

妙にご機嫌でずいぶんスピードを出す運転手は、高速の出口が渋滞しているのを見てすぐにクラクションを鳴らしていた。ちょっと怖かったが、何事もなくヒルトンセレンバンに到着。池のほとりに建つ立派なビルである。

エグゼクティブフロアの一室へ案内される。今回はスイートではないが、招待のレターには「エグゼクティブフロア」としかなかったから、文句はない。さて、一休みしたら夕食に出かけよう。

車の多い街並み

セレンバンの街の第一印象は「車ばかり多くて歩きにくい」ということだった。車の往来は多いが、どうも活気がない。ショッピングモールの中はたくさんの人がいて賑やかなのだが、街全体としては面白味に欠ける気がする。

日が暮れた頃を見計らってマレー料理のホーカーズが並ぶ川沿いの一角に行く。さすがにこの辺りは賑やかで、我々も美味しいマレー料理を食べる。肉や野菜の辛み炒めとでもいえるようなものをご飯のおかずにすると最高にうまい。

いろいろと買い物をしてから、歩いてホテルまで戻ったのだが、宿は街から少し離れていて、到着する頃はぐったりと疲れてしまった。シャワーでも浴びて寝るか。



2001年12月11日(火)

[天気: はれ] (セレンバン) 22,262歩

セレンバン博物館

さて、今日は観光スポットがほとんどないセレンバンで唯一の見どころと言ってもいいかもしれないセレンバン博物館へ行く。ちょっと距離があるので、タクシーを使う。

博物館は、このあたりでは有名な「ミナンカバウ様式」という、屋根の端が持ち上がって牛の角のようになっている建物である。その横にも2棟ほど展示用の同じ様式の建物が並んでいる。中に入るとノートにサインを求められる。別に我々が人気者な訳ではなく、来訪者の記録を取っているのだ。ちなみに見学料は無料である。

展示物の中では、マレーシアのみならず、世界中の民族衣装を集めたコーナーが目を引く。世界中というのは大げさで、マレーシア以外の国の物が数点あるだけなのだが、日本からはなぜか「中山太鼓保存会」と印刷されたはっぴが展示されていた。

マレーシアの民族衣装は 同居人の好奇心を大いに刺激したようで、彼女はずいぶん長い時間メモを取っていた。疲れた私は入り口の階段に腰掛けて一休み。客が少ないせいか、博物館員もかなりのんびりした雰囲気で雑誌など読んでいる。

2階の展示室にもいろいろとあったのだが、ほとんど記憶に残らなかったので省略。

博物館横の展示用の建物の中には結婚式の様子が蝋人形で作られていた。

A&W

博物館からタクシーで街に戻り、おみやげなどを購入した後、徒歩でホテルの近くまで来る。そして、念願のA&Wへ入る。

以前マレーシアのA&Wに入ったときに、ルートビアフロートのレギュラーサイズを飲んだのだが、そのときに横の人が飲んでいたラージサイズを見てあっちにしておけばよかったと大いに後悔したことがあったのだ。今回は是非そのときの思いを実現させようと、ガイドブックに載っていたA&Wを旅行前からチェックしていたのであった。

オーダーはもちろん、ルートビア大ジョッキ。アイスクリームはもちろん2つ入ってくる。ラージサイズは何も言わなくてもダブルアイスクリームなのだ。ちゃんと証拠の写真も撮って、一気に食べる。

最後に、屋外にある子供用の遊び場でルートビアジョッキの遊具で写真を撮って、当初の目的は完全に達成されたのであった。

いつになったら完成するのか

部屋に戻り一休みしたら、今度はホテルでいろいろ楽しむことにする。案内によると「Spa & Sauna」とあり、「Open 2001」と書いてある。すでに12月だからオープンしているのだろうということで、早速行ってみることにした。ところが、案内板通りに行ってもそこにあるのはコンクリート打ちっ放しになった工事中の一角。どうやらまだできていないらしい。

仕方ないのでプールとジャグジーで遊ぶことにしたのだが‥‥あれでは2001年中にオープンするのは絶望的である。そんなことでいいのだろうか。まあいいか。

最後の夕食は

ホテル内にはみやげ物屋も満足に揃っていない。絵はがきはないかとフロントに訊いてみたが、ホテル内にはないと言われる。入り口にいた従業員がエイズ撲滅キャンペーン用の絵はがきをくれたので、これを使うことにした。

夕食がてら外に出る。鉄道駅横にフードストールがあるというので行ってみたが、何もなかった。ガイドブックの情報が少々古かったようだ。同居人は列車が見られて喜んでいた。

いくつかフードストールを見たのだが、いまいちぱっとしないところばかりだったので、結局バスターミナルについているショッピングモールの地下のフードコートで食べることにした。野菜炒めやイカのチリ入り炒めを頼んだのだが、これがなんと激辛。マレーシアでこんなに辛い物を食べたのは初めてである。何度もマレーシアに来ている同居人も同意していたから、こんなに辛いのは本当に珍しいのだろう。そもそも青唐辛子が入っていること自体滅多にないことだ。それでも何とか完食。

ホテルに戻る道の途中で思ったのだが、セレンバンは家具屋がやたらに目立つ。このあたりは家具が名物なのかな。あまり旅行者には関係ない名物なのだけれど。

宿に帰って絵はがきを書きまくる。いつもより旅行の日程が短いので頑張らねば。



2001年12月12日(水)

[天気: はれ] (セレンバン) 5,937歩

チェックアウト

ホテルのプールサイドを歩くネコを見ながら朝食を食べ、いよいよチェックアウトだ。昨日の夜に書いた絵はがきをフロントで出したら、切手代は1枚0.5リンギットだと言う。昨日は1枚1リンギットだったじゃないかと今さら言っても遅い。ちょっと悔しい。

空港まではタクシーで移動する。マレーシアともしばらくお別れである。

だんだん日本が近くなる

空港で久しぶりに日本人を見る。今回の旅行は日本人に会う機会が少なかった。飛行機に乗り込み、時計も1時間進めると、すでに日本にいるような気分になる。座席はスクリーンのすぐ前だったので、テーブルは肘掛けから取り出さなければならずちょっと不便である。この席は足下もちょっと狭いんだよなあ。

無事着陸して

7時間の暇なフライトの後、無事成田空港に到着。成田エクスプレスに乗ろうと思っていたのだが、ちょうどいい時刻の列車がなかったのでスカイライナーに乗ることにした。 同居人が実家に電話するというので、とりあえず我々が旅行中に決定したであろう内親王の名前だけチェックしてもらった。

スカイライナーに乗ってもまだ何となく飛行機に乗っている感じがして、ちょっと揺れると怖いと思ってしまう。さらに、ノートPCの画面を見ていたら酔ってきた。



yasunori@kimuralab.org