サラワク横断の旅
(2001年4月27日〜2001年5月8日)

2001年04月27日(金)

[天気: はれ] (成田) 体重: 64.4Kg 16,469歩

マレーシアへ出発だ

なんとか荷造りを終えて15時過ぎに家を出発。成田エクスプレスで空港第2ターミナルへ向かう。同居人は職場から直接向かうので、空港で待ち合わせだ。チェックインして出国して、ゲートで早速靴からサンダルに履き替える。これだけで気分は東南アジア。

マレーシア航空に搭乗

さて、飛行機といえば機内食である。蕎麦とパスタという妙な組み合わせだったが、どちらもなかなか美味しくてびっくり。とくにパスタはサーモンとペンネのホワイトソースで非常に美味しかった。もっとも、かなり腹が減っていたので美味しく感じただけかもしれない。調子に乗って赤ワインなど頼んだらすっかり酔っぱらってしまった。

席はエコノミーだが各席に液晶画面がついていて映画やゲームが楽しめる。酔っぱらった頭でゲームをやってもふらふらで全然だめなので、すぐに断念。現在どこを飛んでいるかを表示する画面を出していたら、飛行機の絵とともに矢印が現れた。どうやらメッカがどちらの方向にあるかを示しているようである。さすがマレーシア航空。

その後しばらく眠ったが、背もたれの頭部分を手前に起こすことで首を支えることができ、目覚めたあとに首が痛くなることもなかった。最新機材はすばらしい。腰はあいかわらず痛いけど。



2001年04月28日(土)

[天気: くもり] (クチン) 14,682歩

極寒の空港

夜中1時半過ぎにクアラルンプール国際空港に到着。外は雨で気温は摂氏27度。しかし、実際には外気に触れることはまったくなくエアコン完備の空港内で5時40分発のクチン行きの便を待つことになる。このエアコンが非常に強烈で、寝ようにも寝られないくらい寒い。寝過ごしたり寝ている間に荷物を盗まれたりする心配はないかわりに、体力がもたないぞ。

なんとか耐えてやっと搭乗の時刻となった。2時間程度の短いフライトなのだが、国内線にも関わらずちゃんと機内食が出る。それどころか、到着するとクアラルンプールですでに終えたはずの入国審査がもう一度ある。まったく同じ書類を書かされるのだ。結局同じ出国カードが2枚パスポートにつくこととなった。

湿気がすごいクチン

バスで空港から市内へ移動。そんなに気温は高くないのだが、湿気がすごい。バスを降りてホテルが集まるエリアまでちょっと歩いただけで体はべとべとだ。

部屋を見せてもらった2軒目のホテルに泊まることにする。エアコンとホットシャワー付きの豪華な部屋。しかし早速浴びたシャワーが水ばかりで湯が出ない。文句をつけに行こうと思ったら、実は水の方をひねると湯が出ることを同居人が発見。初歩的なミスでした。ホテルの人、疑ってごめんなさい。

さすがに眠いので、休憩。

両替に注意

昼くらいまで仮眠をとり、いよいよ街へ繰り出す。相変わらず蒸し暑いが、この熱気がまたなんとなくうれしい。クチンの中心部はすごい都会で、若い人たちの格好も何となくあか抜けている感じがする。いくつかのショッピングモールをまわり、途中で両替。30,000円が918リンギット。両替屋のおやじが100リンギット少なくよこしたのにクレームを付ける。わざとかどうかは不明だが、もう少しで100リンギット損するところだった。

昼食はマレーシアではポピュラーなチキンライス。蒸し鶏とチキンスープとチキンスープで炊いたご飯の3点セットである。これに野菜を2品と飲み物をつけて2人で12.6リンギット。やはりアジアの食べ物はうまい。

川沿いのマーケット

再び眠り夜19時、夕ご飯を食べに行くことにしよう。サラワク川沿いに歩いていくとなにやらにぎやかなところが現れる。小さな観覧車もぐるぐる回っている。何かのマーケットらしい。風船を割るダーツとか、お祭りとかでよく見るような物がたくさん。食器とかも売っている。

マーケットもいいのだが、とりあえず空腹だったので、ざっと見終わったら食事にしよう。ムスリムの経営するレストランでマトンカレーとナシゴレン。店の女の子は話し好きでいろいろ言ってくるのはいいのだが、こちらはゆっくり食事をしたいところだ。店のネコの写真を撮ったりして楽しむ。

食後、マーケットに戻ろうと思ったのだが、また雨が降り出してきた。土砂降りになったらいやなのでさっさと宿に戻ることにした。



2001年04月29日(日)

[天気: はれ] (クチン) 21,793歩

朝食はラクサ

朝8時に起床。昨日の昼間に引き続き本当によく寝た。やはり飛行機内では十分な睡眠はとれないのだな。朝食を食べに近くの店へ。昨日のうちからチェックしていた店だ。ラクサを食べたのだが、以前ペナンで食べたときほどの感動はなかった。ビーフンがちょっとぱさぱさしていたのが気になってしまった。

念願のネコ博物館

明日乗ろうと思っているシブ行きのボートの予約をしようと旅行会社を探したのだが、どこも日曜日はお休みのようだ。さっさとあきらめて市場の方まで歩き、バスに乗る。クチンに来た一番の目的である「ネコ博物館」に出かけるのだ。バスを降りたところにあるお店のお兄さんに聞くと、山の上にあるドーム場の建物がそれだとのこと。歩いてのぼるとけっこう疲れる。気温も高いしなあ。

山の上は景色もよくて、気持ちいい。ネコ博物館は基本的には無料なのだが、写真を撮るには3リンギット払う必要がある。私はやめておいたが、 同居人の分だけ払うことにした。

中にはマレーシアをはじめ、中国や日本、ヨーロッパなど世界のネコに関する資料が並んでいる。ネコの餌もいろいろ並んでいる。思っていたより面白いぞ。ちなみに日本のネコ代表は「招き猫」と「なめんなよ」である。なつかしい。

記念に絵はがきを買おうと思ったのだが、受付の人曰く、係員がいなくて鍵が開けられないのだそうである。というわけで、購入を断念。まあ、無料の割にかなり面白かったのでよしとしよう。

昼食とおやつを食べて宿に戻る

昼食はミーゴレン。たくさん歩いて疲れても食べれば少しは回復する。しかし、ショッピングモールなどをいろいろ物色しているうちにまた疲れてしまう。昨日行ったしょぼいフードコートでトウモロコシのかき氷「アイスジャゴン」を食べてまた復活だ。しかし、やはり暑いし、宿も目の前なので戻ることにした。

宿のフロントで今日の宿泊料を払うついでにシブ行きボートについて訊いてみたら、予約は不要で、明朝7時半にフロントに来ればタクシーで乗り場まで連れていってくれるとのこと。タクシーは15リンギットだが、この方が楽なのでお願いすることにした。

シャワーを浴びて一休み。もうすぐ15時である。

豪華に海鮮料理

夕方になってかなり涼しくなってきた。また出かけることにしよう。日が沈む前にネコの像の写真を撮りたかったので、まずはそこに向かう。クチンにはいくつか像があるが、もっとも有名な物はちょっと街のはずれにある。日も落ちてきていたが、像はちゃんとライトアップされていて 同居人もご満悦。

夕食は、ネコの像に途中で目をつけておいた海鮮のフードコートに行く。なにやら賑わっていて非常にいい雰囲気。オーダーしたのは魚のアサムプダスというカレー風の鍋、エビのガーリックバター炒め、野菜炒めの計3品とご飯。ボリュームもたっぷりで大満足。同居人はスイカジュースで再びご満悦。ちょっと高かったが、腹いっぱいで文句なしの夕食だった。

帰りにコンビニに寄ったら、「オレンジチョコレートフレーバーミルク」なる物を発見、早速購入した。1口飲んでその味に感動。日本では手に入らないのかな。



2001年04月30日(月)

[天気: あめ] (シブ) 15,191歩

極寒のボート

朝7時半にホテルを出る。タクシーでボート乗り場まで行くと、すでにシブ行きのボートにお客さんは乗り込みはじめていた。ガイドブックによればボート内はエアコンがかなり効いているらしい。長袖のシャツを用意しておいた方がいいかな。

8時半に出発。ガイドブックの記述に嘘はなく、長袖を着てもまだ寒いくらいだ。しかも我々だけではなく、現地の人もほとんど全員が寒そうにしている。それならもっと温度あげればいいのに。がたがたふるえながら約5時間。やっと到着したシブは雨だった。

雨の中を歩く元気なし

ボート乗り場からすぐのところにある宿に駆け込む。ホットシャワー付きで32リンギットならまあいいかな。なぜかフロントのテレビではNHKの衛星放送で横浜中日戦をやっていた。

すぐ近くのマーケットは屋根付きだったので、そこのフードコートで遅めの昼食。揚げ豚とチンゲンサイ炒め。ここで今回の旅行で初のコーヒーを飲む。劇甘でうまい。

その後、マーケットで生きたまま新聞紙にくるまれて売っている鶏などちょっと見てから、スーパーに入る。ここでおやつを購入。雨だといろいろ行く気がしないので宿に戻ることにした。

再び街へ

ベッドでうとうとしていたら 同居人が出かけようという。雨も小降りになってきたようだし、この街は明日発つ予定なので今日のうちにいろいろ見ておこう。まずは同居人の大好きなショッピングモールへ。小さな街の中でひときわ目立つ高層ビルの下にお店がけっこう入っている。しかもかなりおしゃれで、東京にいるのとたいして変わらない雰囲気だ。

外に出てSugarBunというファーストフード店でクリームソーダで一休み。この店は東マレーシアならどこでもあるチェーン店らしい。真っ赤なソーダがいかにも体に悪そう。

雨上がりの街をぶらぶらしてみたら、あちこちで露店の準備をしているのを見かけた。夜は賑やかなのかな。

なぜそんなに安いのだ

露天をひやかしながら夕食を食べにいく。ずっと中華が続いたので、今回はロティチャナイ。薄っぺらいパンケーキみたいなやつをカレーの汁につけて食べる料理。飲み物はコーヒーとアイスミルクティーである。フードコートは夕方に見たときよりずっと賑やかで、なんだかうれしくなってくる。

食べ終わり、お勘定を頼んだらなんと、ロティチャナイ1人前たったの80セン。0.8リンギットである。日本円で25円ほど。今までの食事の中でもダントツに安い。飲み物が2人分で2.1リンギットだから、それよりも安い。確かに材料費はかなり安そうだけど、ここまで安いとは思わなかった。

さすがに安いロティチャナイだけでは腹いっぱいにはならないので、露店で肉まん風の物を買う。小さいサイズ3つで1リンギット。中は豚肉だと店の人は言っていたが、よくわからない物が入っていた。

その後、同居人のリクエストで再びショッピングモールへ。何を買うわけでもなく、ぶらぶらして、ホテルに戻る。



2001年05月01日(火)

[天気: はれ] (ミリ) 21,640歩

帽子紛失

今日はシブからミリまでバスで7時間かけて移動する日である。朝はマーケットのフードコートで麺を食べる。ケチャップ味の麺に肉が少しのっている物だが、名前は失念。うまかった。

バスのチケットを購入して、そこから長距離バスターミナルまでバスで移動する。ここで、「ちょっと暑いな」と帽子を脱いだのが間違いの元。荷物をひざに乗せていた上に水のペットボトルも持っていたので、帽子に手が回らなかった。ターミナルについてあわててバスを降り、ベンチで一休みしたときに帽子がないことに気付く。バスの中においてきてしまった。

帽子がなくなったことよりも、今までほとんど旅行中に忘れ物をしたことがなかったのに今回忘れてしまったことがショック。

バスの旅7時間半

気を取り直して長距離バスに乗る。先日のボートとは違い、今回はエアコンも控え気味でいい感じだ。しかし、立派に見えるバスは意外と見かけ倒し。道はきちんと舗装されているのになぜかがたんがたんと揺れるし、上り坂になると馬力がなくて時速20キロくらいまで落ちちゃうし、なかなか情けないバスである。

それでもバスは順調にミリを目指す。途中何度か休憩をはさみ、我々はそこでトイレに行ったり軽い食事をとったり。

夕方17時半過ぎにミリに到着。思っていたより疲れなかったな。

暑くて暗いミリの夜

タクシーの誘いを振り切り、バスターミナルからミリ市内までバスに乗る。最初はバス停がよくわからなかったが、バスを待つ人に訊いて教えてもらった。市内には問題なく到着したが、ガイドブックを見て行こうと思っていた宿のあたりはずいぶん暗い雰囲気。ちょっと気持ち悪かったので、急遽もう少し高めのところに行ってみることにする。

結局Brooke Innという宿に泊まることにしたが、ここも宿のまわりは暗い雰囲気。荷物を置いて夕食を食べに出たのだが、賑やかだと書かれていたフードストールも閑散としている。

とりあえず大きめのショッピングモールに入ったらお客さんは結構いたものの、中のフードコートはやはり客も少なく、店もやる気がない。仕方なくここで夕食。

それにしてもなぜこんなに活気がないのだろう。単に街の中心部をまだ見ていないだけなのだろうか。明日になればもう少し街の様子もわかってくるだろうか。それにしても蒸し暑い夜だ。汗びっしょり。



2001年05月02日(水)

[天気: あめ] (ムル) 13,644歩

急展開

ミリ2日目。今日は明日出発のツアーを予約して、あとは郵便局に行くくらいしか用事がない。移動が多い今回の旅の中で久しぶりにゆっくりできる日だ。朝食はお粥をおいている店があったのでピータン粥とコーヒー。朝から汗びっしょりになってしまった。

昨夜この街に着いたときはなんだか暗くて寂しい街だと思っていたのだが、昼間は人もたくさん歩いていて、しかもなんとなくのんびりした雰囲気で、結構気に入ってしまった。何となく我が故郷函館に似ている気がする。蒸し暑いけど。

ツーリストインフォでツアーのことを訊いてみると、洞窟で有名なムル国立公園は、トレッキングをしないなら2泊3日でちょうどいいとのこと。近くの旅行社で飛行機のチケットを取ってから来れば宿の予約ができるというので、早速足を運ぶ。しかし。

往きの飛行機は取れるのだが、帰りが取れない。どうやら帰りの便のチケットはムルでの予約しか受け付けない席があるようで、行った先で改めて予約してくれと言われてしまう。さてどうするか。でもせっかくここまで来て洞窟を見ずに帰るのはさすがに悲しい。

というわけで、結論は「今日ムルに行く」。今日行けば2泊3日で帰って来れなくて1日のびても予定通りブルネイに向かえるだろう。帰りの便が行ってみないとわからない以上、早めに行くのが得策だ。というわけで、飛行機のチケットと宿を予約し、ホテルに戻る。14時半のフライトまではまだ間があるので、シャワーを浴び、郵便局でたまっていた絵はがきを出して、チェックアウト。ショッピングモールの片隅の店で飲み物を飲んで一休みしたあと、空港までバスで移動する。

腕時計壊れる

そんなあわただしい中、いきなり腕時計のベルトが切れてしまった。湿度が高いせいかなんとなくふにゃふにゃしている感じがしていたのだが、こんなタイミングで切れてしまうなんて、なんだかいやな気分だなあ。

19人乗り飛行機

空港で高い食事をしたらいよいよムルへのフライトだ。場所が場所だけに小さい飛行機なのは覚悟していたし、チェックインの時に「自由席」と言われたので何となく想像はできていた。そして、実際に目にした19人乗りのプロペラ機。小さい。外見も小さいが、中に入るとさらに小さく感じる。操縦席の様子も手に取るようにわかり、非常に楽しい‥‥なんて言っている余裕はまったくない。

定刻通り出発。30分程度の短いフライトだが、怖くて外を見ることができない。小さい飛行機なので足の下に何もない様子があまりにリアルに伝わってくるのだ。着陸寸前にはかなり強い雨が降ってきて、機体も揺れる。ワイパーの音が鳴るだけで怖い。

何とか無事到着したが、帰りもあのフライトだと思うとちょっと憂鬱。

すばらしい部屋

早速空港のカウンターで帰りのチケットを訊いてみる。ところがここではウェイティングリストに名前を載せてもらうだけ。もっとも、席がいっぱいになっているわけではなく、優先される予約があって、その結果を見てから空港での予約を受け付けるらしい。4日の最終便はリストの3人目、5日の便はトップに名前を載せられたので何とか取れるのではないかと期待することにする。4日の便の結果がわかるのは明日である。

豪雨の中、空港からトラック風のタクシーでムル国立公園の入口オフィスへ。ここでいろいろ説明を受け、入園料や宿代などを払う。

ツーリストインフォでは、安い方から「ホステル」「レストハウス」「シャレー」と3つのクラスの宿があると言われた。ホステルはいわゆるドミトリーで共同部屋だそうなので、今回は少しリッチにレストハウスを選択。リッチとは言っても森の中だし、上のクラスにシャレーがあるのだから、きたない個室程度かなと思っていたのだが、着いてみてびっくり。今回の旅行ではトップクラスの部屋である。ベッドカバーがついているだけで感動。しかも部屋もトイレもものすごく広い。

さて、外も雨だし、明日までやることがないな。というわけで、今この日記をつけているのである。



2001年05月03日(木)

[天気: はれ] (ムル) 24,712歩

謎の生物

夜中に何か小動物らしき物が床を走ったと 同居人が言っていた。隣の部屋の振動が直に伝わってくるような造りだし、その音かなと思っていたのだが、どうやらネズミが出るらしい。同居人のポーチと洗濯石鹸にかじられたあとが見つかった。そしてトイレにはネズミの糞らしきものも。ううむ。

洞窟へ行こう

さて、今回ムルを訪れた目的である洞窟へ行こう。午前はWind CaveとClearwater Caveである。グループでボートをチャーターすれば安くなるのだが、今回は我々2人以外で一緒に行く人が見つからなかったので、ちょっと割高。

まず最初にプナン族という少数民族の集落を訪れたのだが、ここは単なるおみやげコーナーと化していてつまらない。さっさと引き上げて洞窟へ向かおう。

Wind Cave

最初は中に吹き抜けのあるWind Caveへ。洞窟への道はずっと木の橋が取り付けられていて、ちょっと滑ることにさえ気をつけていれば誰でも歩ける。照明も完備されている。これでは洞窟探検ではなくて洞窟観光だな。

とは言っても、気分だけは十分探検風である。最初にこれを発見した探検家はすごいなとか、さらにそこに木の橋を取り付けようなんてすごいことを考える人がいるものだとか、いろいろ感心してしまった。

洞窟の方もすばらしく、広いところや狭いところ、吹き抜けや妙な形に成長した岩など、見どころたっぷりである。残念ながら、安いデジタルカメラでは暗くてほとんど写らない。実際に見に行った人じゃないとこの感動は味わえないのである。

Clearwater Cave

次はClearwater Caveである。ここは、洞窟内に川が流れている。洞窟の入り口付近は水もきれいで泳ぐのにはもってこいだ。私はやめておいたが、泳いでいる観光客の人もいた。

暗い洞窟の中、ぼんやりと照明に照らされた中を流れる川はなかなか見応えがある。ただし、ここもすごい湿気で、上からもぽたぽた水滴が落ちてくるし、上り下りの階段が多いところなので汗もびっしょりである。 同居人は途中で疲れてしまい、2本ある道のうち片方は断念して入口で待つことに。もっとも行かなかった方の道は比較的短かったのだが。

洞窟をたっぷり楽しんでかなり体力も消耗した私たちは他の観光客よりちょっと早めに宿に戻ることにした。

帰りのチケット

昼ご飯は公園オフィス入口の橋のところにあるレストランへ行ってみる。しかし、メニューの少なさは公園内の食堂の上を行っていた。このあたりで食べ物は期待できないようである。

午後に行くつもりだった洞窟へ出かけようとした途端に豪雨。ものすごい降り方だ。これは洞窟に行くのもあきらめるしかないかと思っていたら徐々におさまってきた。何とか濡れずに出かけられそうだ。

そう言えば今日の午後には我々が明日のフライトに乗れるかどうかがわかっているはず、これは出かける前に確認しておこうと思い、電話のところに行ってみたところ、なんとカード専用。もちろん我々はテレホンカードなんて持っていないので、オフィスに訪ねたところ、カードを買うだけでも隣のリゾートホテルに行かなければ無理だという。そこまで行くくらいなら空港まで行った方がずっと近いぞ。しかし、今から空港に行くと、洞窟の方の時間がなくなる。コウモリの群も見たいし、何しろ遅くなると日が沈んでしまう。今さら空港まで行ってもチケットがとれているかどうかの結果が変わるわけではないし、とりあえず、急いで洞窟に向かうことにした。

Lang's Cave

宿から木の板でできた道を歩くこと約1時間。まさにジャングルの中を行くという感じだが、こちらも楽ちんな道のりだった。何度か足を滑らせながらもLang's Caveに到着。

午前中に見た洞窟に比べて、こちらは鍾乳石の美しさが抜群である。規模もかなり大きくて、壁一面にカリフラワーのような模様ができていたり、我々の身長よりもずっと大きな石柱ができていたり、シャワーのように水が天井から落ちていたりと飽きさせないバリエーションである。

途中、日本語でガイドをしている人と遭遇。ということはガイドを雇っている観光客ももちろん日本人である。今回の旅行で初めて日本人旅行者を見かけた。

Deer Cave

最後に訪れた洞窟はDeer Caveである。ここの売りはとにかく「でかい」ということ。ムルを代表する洞窟だ。入口からいきなり天井が高く、そのうち崖の下を歩いているような感じになる。この時点ではまだ空が見えており、この部分も含めて大きいと言っているなら詐欺みたいなもんだなと思っていた。

しかし、期待は裏切られなかった。さらに進むとものすごい広い空間が現れる。とにかく天井が高くて、ドーム球場にいるような感じだ。奥に歩いていくとやがてものすごい臭いが鼻を襲う。どうやらコウモリの群れが落とした糞の臭いらしい。そしてその糞の中にはきらきら光る得体の知れない昆虫が。きれいと言えばきれいなのだが、その前にこの臭いをなんとかしてくれ。

さらに進むと臭いは弱まってくる。このあたりでやっとゆっくりと洞窟の広さに感動できるようになる。いやあ本当にでかい。もちろん写真などでは実感できないくらい広い。久々に感動した。自分の中ではアンコールワットを見たとき以来の感動だ。

そこからさらに奥に行くと照明がついていないエリアに入った。時間が遅いから消してしまったのか、元々ついていないのかわからないが、我々は2人でちいさなマグライト1つしか持っていなかったので、懐中電灯を持っている人の後ろを歩くことでなんとか前に進んだ。そこには、巨大な空間の中にある大きなシャワーのように水滴が次々と落ちてくる場所があった。これも他では見たことがない美しさである。これを発見した冒険家はきっとものすごくうれしかったのだろうな。

帰りは来た道と同じルートで洞窟の出口まで。当然あの臭いも待っている。

コウモリの群れ

最後は日暮れ時に飛び立つコウモリの群れ見物である。見物ポイントで1時間ほど待っていると空を飛ぶコウモリの数も少しずつ増えてきて、そのうち一斉に飛び立つ光景が見られる。まるで黒い煙のような、それとも空に舞う龍のような、あるいは東工大で見たインコの群れのような‥‥まあ、そんな感じで、確かに珍しい光景なのだが、ちょっと遠くてインパクトに欠けるというのが本音。あの洞窟を見たあとに1時間も待たせてあの程度かという観光客の心理もあるかも。でも、作られた物ではなく自然の光景でああいうのが見られるのは確かに貴重な体験だ。

宿につく頃は日が落ちる寸前だった。お疲れさま。

ここでもネコ

シャワーを浴びていつもの食堂でたいして美味しくもない食事をとり、宿に戻ろうとしたら、どこからかネコが寄ってきた。体を我々の足にすり寄せてきてどこまでもついてくる。毛並みもよくてまるで飼い猫のようだ。

さすがに宿の部屋に入れるわけにはいかなかったので、入口でドアを閉めたのだが、それでも我々の気配を感じてドアの外でニャーニャー鳴いている。なんだかかわいそうだったが、外で談笑していたムスリムの女の子が相手をしてくれたようでおとなしくなった。

とってもかわいいネコだったが、いったい我々に何を言いたかったのだろう。謎だ。



2001年05月04日(金)

[天気: はれ] (ミリ) 22,181歩

なんとか帰れることに

朝食を食べたら早速空港に行って、ミリ行きのチケットがとれてるかどうかを確認することにする。ここムルにもう1泊するかしないかでは日程的にも気分的にも大きな違いがあるのだ。

宿を出発して早々昨日のネコが追いかけてきた。今日も足下にすり寄ってきてはニャーニャー鳴いている。かわいいが、いつまでも相手はしていられないので空港への道を歩いていく。しばらくついてきたのだが、なわばりを越えそうになったのか、あるところでぴったり止まり、ついて来なくなった。そのかわり、ものすごい悲しそうな声で鳴き続けている。かわいそうだが、我々にも大事な用事があるのだよ。

汗びっしょりで空港に着くとカウンターには誰もいない。まあよくあることだとベンチに座って待っていたら、しばらくして昨日の係員がやって来た。早速チケットがとれたか訊いてみると「満席だ」と言う。一瞬あせったが、すぐに「今日の別の便なら空いている」と言ってきた。おお、そういうことならまったく問題なしだ。12時前の便に予約を入れてもらってめでたしめでたし。

というわけで、なんとか今日中にミリに戻れることに決定。ばんざーい。

思い出したくない‥‥

早速宿に戻り、荷物をまとめてチェックアウト。今度はネコには出会わなかったが、出会いたかったタクシーは現れず、再び空港まで徒歩。15分ほどの道のりなのだが、この炎天下の中歩くのはかなりつらい。気温も35度くらいあるんじゃないかな。倒れずに着いてほっとする。

しかし、恐ろしいのはこれからであった。チケットこのことが気になっていて忘れていたが、あの19人乗りプロペラ機に再び乗らなければならないのだ。前回とは違い、天気もいいのでそんなに揺れないかなと密かに期待していたが、見事に裏切られた。途中ものすごい揺れで、こちらは顔面蒼白だというのにすぐ前に乗った日本人のおじさんは子供をビデオにおさめようとカメラを向ける。こんな情けないところ撮されたらたまらんぞ。

揺れて怖かった様子は思い出したくもないので省略。とにかく無事にミリに着いたのであった。

大都会ミリでお買い物

何もないムルからミリに来るとものすごい都会に感じる。前回の宿泊先と同じところに宿を取り、荷物を置いたら、もう何軒訪れたかわからないショッピングモールへ。

宿から比較的近いこのモールには最上階に大きなフードコートがあり、 同居人はクレイポットライスを見つけて早速注文。私はナシチャンプルー、いわゆるぶっかけご飯だ。

ここでうれしかったのは飲み物である。同居人についでにアイスコーヒーをと頼んだら「それはメニューにないけどルートビアフロートがある」というではないか。食事と一緒に食べるのはどうかと一瞬悩んだが、次の瞬間にはオーダーしていた。アイスのフレーバーは「ヤム」。ヤムイモの味である。これがまたルートビアと意外とあうのだな。久々に食べてやっぱりうまいと再確認。

食後は店を見て歩き、時計店で先日ベルトが切れてしまった時計の新しいベルトを購入。やっぱり腕時計は腕にないと落ち着かない。

おみやげなどを買い、結構歩いて疲れたので再びフードコートで休憩。私はABC、同居人は豆腐花を食べる。ABCはAir Batu Campurの略で、タピオカなどの入ったかき氷、豆腐花は甘い汁のかかった柔らかい豆腐である。

久々に物の豊富な都会に来たらついつい使いすぎてしまう2人なのであった。

夕方再び出かける

午後に一雨降って涼しくなるかなと期待していたのだが、今日は1日中晴れのようで、外は強烈に暑い。夕方日が傾いてから出かけようと思ったら意外と長く休憩してしまい、暗くなってから夕食に外へ出ることになった。

今まで見ていなかった地区に行くと意外とたくさんある食堂。しかも思っていたより賑わっている。やはり最初の「暗い街」というイメージは間違っていたな。インド料理屋でムルタバという、オムレツをチャパティ生地で包んで焼いたような料理を食べた。辛くてうまいのだが、単調な味で結構な量なので最後はちょっと飽きてしまった。

帰り道でスーパーマーケットによりおみやげを購入。21時過ぎに宿に到着。



2001年05月05日(土)

[天気: あめ] (ミリ) 9,728歩

朝から豪雨

朝起きて外を見たら空には雨雲が立ちこめている。雨が降るのだなと思いながら顔を洗う。絵はがきを書いていたら急に外で雨の音が。降り出したと思ったらものすごい量である。

雨で外に出られないので朝食も食べにいけない。この時間を利用して次の訪問地、ブルネイの首都バンダルスリブガワンのホテルを予約しておくことにしよう。安宿がほとんどないバンダルスリブガワンでは、中級のホテルをあらかじめ予約しておくのが一番いいと判断したのだ。

英語力は 同居人の方が上なので、電話は任せることにした。ラッキーなことに今泊まっている宿は部屋に電話が付いているのだ。ガイドブックを見て検討した結果、Jubilee Hotelというところに決定。電話したところ、ガイドブックにある値段よりもかなり安い70ブルネイドル。なんだか得した気分。

雨の中出かける

いつまで待っても雨は止まないし、腹も減ってきたのでタオルをかぶって出かけることにした。ムルで雨に濡れることに慣れてしまったせいか、意外と平気なことに気づく。地元の人も結構濡れながら歩いているし。 

食堂で麺を食べ、昨日行ったスーパーで傘を買う。やはり雨の中傘なしで出かけられるのは近所だけだし、今日はミリ最終日だから宿でじっとしているのももったいない。

ついでに「中田Tシャツ」なども発見して衝動買い。これが結構かっこいいのだ。

外に出たら雨は小降りになっていた。せっかく傘を買ったのに‥‥。

ブルネイ準備

ブルネイに行く準備としてマレーシアリンギットからブルネイドルに両替をする。明日の道中に両替所はあるらしいのだが、日曜日なのでやっていない可能性が高いのだ。150リンギットを両替して72ブルネイドル。2人でこれだけあれば1日の滞在なら十分だろう。かなり余るかもしれないな。

途中、路上の体重計で体重をはかる。今日は雨のためカメラなどはすべておいてきたので、いつも家ではかる状態にかなり近いのだ。結果は65.1kg。食後だということを考えあわせれば旅行前とほぼ変わらない水準だ。かなりたくさん歩いたりしたので少しはやせているかと思っていたのだが‥‥。

そういえば、雨のために軽装で行ったため、万歩計をつけるのを忘れた。今日の歩数が若干少ないのはそのためである。

そして再びショッピングモール

雨もあがったようなので、バスに乗ってまだ行ったことのないショッピングモールへ。初めてミリに着いたとき、長距離バスターミナルの前にあったモールである。ショッピングモールなんてどれも同じように見えるのだが、 同居人に言わせればそれぞれ微妙に違うそうだ。

ここはかなり新しいようで、造りも立派だし、お客さんもたくさん入っているようである。同居人は服や靴などいろいろみたい物があるようで私はそれについて行くのみ。

昼食は最上階のフードコート。ここにはタイ料理があるのだが、どう見てもマレーシア風にアレンジされていて、タイ料理には見えない。隣国だからといって本格的な物が食べられているわけではないのは日本と同じである。

このモールにある食料品売場はいわゆるハイパーマートで非常にたくさんの物が大容量で置かれている。見ていてなかなか楽しいが、旅行者が買う物はあまりない。

帰ろうとしたら再び雨。傘は宿に置いてきたので、濡れながらバス停へ。歩道がなくて草と泥の中を歩いていたらはねてズボンがどろどろになってしまった。

宿近くで預け荷物用の安いビニールバッグを買って戻る。

スケール小さい豪遊

夕食は豪華にフィッシュヘッドカレー。明日までしか使わないマレーシアリンギットのお金がかなり余っているので、ついつい贅沢になってしまう。食事中にブッダ生誕祭らしい行列が通り、思わず2人でカメラを向けてぱちぱちやってしまう。観光客根性丸だしである。

食後、宿近くのスーパーマーケットに再び行き、こちらでも金使いまくり‥‥と行きたかったのだが、閉店時刻に阻止されてしまった。いくつかおみやげは買えたものの、欲求不満のまま最後の客となる。

盗難か

宿に戻り、シャワーを浴びて浴室から出てくると、 同居人が、持ち物が足りないと言い出す。今朝まであった本などがなくなっているというのだ。我々が外に持ち出したことは絶対にないし、これはベッドメイキングがあやしい。早速フロントに報告、ボスを呼び出してもらう。

何度かフロントで顔を合わせていた女性の主人は「ベッドメイキングの時に盗んだのではなく、何かの拍子に間違えて他の物とともに部屋の外に運んでしまったのではないか」という。確かに盗まれたにしてはおかしいことがある。なくなった本は日本語の物で、我々以外の人にとってたいして価値があるとは思えない。また、同じくベッドの上にあったモバイルギアなどの高価な物に関してはまったく手がつけられていないのだ。

彼女曰く、明日の朝7時半にベッドメイキングをした人が来るので、それまでチェックアウトを待ってくれないかとのこと。本当は早朝のバスでブルネイに向かいたかったのだが、こういう状況では仕方がない。少々遅いバスで行くことにした。バンダルスリブガワンにたどり着くまでの乗り継ぎで、最終便の時刻が早いところがあるので、ちょっと心配なのだが‥‥。



2001年05月06日(日)

[天気: はれ] (バンダルスリブガワン) 17,326歩

結局見つからず

昨夜なくなった 同居人の持ち物。今朝ベッドメイキングをした人の1人が来て話を聞いたのだが、やはりわからないと言う。彼女は同居人のベッドではなく私のベッドを担当したそうで、同居人のベッドを担当した人は今日は休みだそうである。

我々には時間がないし、宿の主人も誠実な対応をしてくれているように思えたので、とりあえず日本の住所を渡し、もし見つかったら送ってもらうようにする。宿泊代も半分返してくれた。

もちろん納得いかない部分が多いが、これ以上粘ってもいいことはないだろうから妥協することにした。貧乏旅行している以上このくらいのトラブルは仕方ないな。

マレーシアからブルネイへ

ミリからバンダルスリブガワンまでバスで国境越えをする。今後同じルートを目指す人がもしかしたらここを読んでくれるかもしれないので、詳細を記録しておく。

ミリのローカルバスターミナルにあるMiri Belait Transport Companyのオフィスでチケットを購入。運賃、エアコン代などをあわせて12.20リンギットを払う。この料金はブルネイのクアラブライまでのものである。

我々が乗ったのは9時の便。しばらく行くとフェリー乗り場に着く。フェリー待ちの車の列にバスが並ぶので、しばし近くの店で買い食いなどができる。バスがフェリーに乗ると人をバスに乗せたまま出発。数分で対岸に到着。

さらに進み、マレーシアのイミグレーションで出国手続。このときは荷物はバスに置いたままで窓口に並ぶ。

全員手続が済んでバスに戻ると今度は2分ほどでブルネイのイミグレーションに着く。ここでは荷物を全部持って入国手続。ブルネイ領では別のバスが待っている。

エアコンの着いていないブルネイのバスに乗り、しばらく行くとと再びフェリー乗り場が現れる。ここでは荷物を持ってバスを降り、バスを置いて人だけフェリーに乗る。バスの運転手さんも一緒である。対岸ではさらに別のバスが待っている。

このバスに乗ってクアラブライまで行くことになる。我々が到着したのは11時15分。ここまでで最初にミリで払ったお金以外は一切払っていない。

クアラブライに着くと今度はスリア行きのバスに乗り換える。11時半頃出発。スリアまで1ブルネイドル。なお、今日は日曜日だったので銀行等での両替はしていない。平日ならできるのかもしれないが、我々は事前にミリで両替しておいた。よって、日曜日でも両替できるかなどの詳細は不明である。

スリア着12時。ここで最後のバス、バンダルスリブガワン行きのバスに乗る。12時半発、6ブルネイドル。

ガイドブックによれば2時間程度で着くはずだったのだが、ちょっと遅れて15時頃バンダルスリブガワンのバスターミナルに到着。結局全行程で6時間かかった。途中、スリアあたりで食事を買うのが正解だったかもしれない。我々は腹ぺこでバンダルスリブガワンに到着、酷暑の中、荷物を引きずって予約したホテルに向かった。

無事着いたものの

空腹と疲労でぐったりの状態で着いたJubilee Hotelはすばらしい部屋だった。テレビとソファのある部屋と寝室が分かれている。我々の住む家よりずっと広いぞ。どうなっているのだまったく。

部屋は問題ないどころか想像以上にいい部屋だし、なんと朝食付きだとフロントで言われる。すばらしいのだが、残念なことに今すぐ欲しい安食堂がない。

まずは空腹を何とかしなければ何もできないということで、日曜日で休みの多いターミナル近くのビルの中からエアコンの効いた食堂を見つける。レモンチキンライスという風変わりな物とアイスミロで腹をみたす。 同居人はクレイポットミーとアイスホーリック。

この後、同居人の好きな大ショッピングモールのあるガドン地区を目指すはずが、同居人は疲労と頭痛でダウン。ホテルに戻って寝ることとなった。

これぞブルネイ

夜、同居人も復活してきたので出かけてみた。バンダルスリブガワン中心部で一番大きいショッピングコンプレックスであるヤヤサンスルタンハジハッサナルボルキアファウンデーションコンプレックスだ。長い。

日本でもよく見るブランドの店がたくさん入っているし、地下のスーパーマーケットの品揃えもすばらしい。おみやげや絵はがきなどを見ていると、ふと目に入ったのがドリアン。果物の王様だ。私も同居人もドリアンには目がないのだが、これはおそらくホテル持ち込み禁止、さすがに路上で食べるわけにもいかないのであきらめる。そのかわり、こちらも2人とも大好物の果物の女王マンゴスチンを購入。日本では高価な冷凍物以外は手に入らないという貴重品である。もちろんこちらで買うと安い。手持ちのブルネイドルがなくてもクレジットカードが使えるから大丈夫だし。

マンゴスチンと持ち帰りピザハットを夕食にする。それにしても、こんなに大きなショッピングコンプレックスが人影まばらで、街も静まりかえっている。まさに私が日本にいるときに描いていたブルネイのイメージそのままではないか。

私の独断と偏見で、ショッピングコンプレックスの噴水の向こうにモスクが光り輝いている風景をブルネイのブルネイらしい風景ナンバー1にさせてもらおう。



2001年05月07日(月)

[天気: はれときどきあめ] (バンダルスリブガワン) 14,393歩

ローカルツアーで観光地めぐり

今日の夕方に飛行機でクアラルンプールに向かうのだが、昼間はとくにすることがない。ぶらぶらするのもいいのだが、せっかくだから効率よく回ろうということで旅行社でローカルツアーがあるかどうか訊いてみることにした。

ガイドブックの情報を頼りに飛び込んだ旅行社には日本人のスタッフがいて、彼女がガイドでローカルツアーをしてくれることになった。1人65ブルネイドルは安くはないけれど、日本語でガイドしてくれるのなら楽でいい。

運転手の女性と日本人ガイド、それに我々2人を乗せて、普通乗用車で出発。

ボルキアモスク

最初に訪れたのは、現在の国王が自分の資産で建てたモスク、ジャメアサールハサナルボルキアモスクである。ガイドさんによると、階段などはイタリアの大理石、その他、すべて物は海外の最高級の物を用いて作られているそうである。庭にあるベンチも継ぎ目なしの大理石とはすごい。王様は本当に金持ちなのだな。

王宮

王宮前で記念写真。ここは中には入れないのだ。門は3つあり、1つは国賓用、1つは王族用、そしてもう1つは年に1度一般市民が入るときに使われるのだそうだ。

警備は2重になっていて、外側は普通の警察、内側には王族を守る特別の警護隊員が立っている。警護隊はネパールのグルカ兵だそうだ。

つまり、警備も輸入。

ブルネイ博物館

次は水上集落に行く予定だったが、雨が降ってきたので先に博物館に行くことにする。ブルネイ博物館はイスラム関係の古い資料や、他の国から贈られた古くて貴重な壷や皿などが展示されている。また、石油や天然ガス採掘の様子なども展示されている。

しかし、一番印象に残ったのは、同じようなツアーできていた香港人の団体。広東語が非常に騒がしく飛び交っていた。

水上集落

天気もなかなか回復してくれず、かといって時間もあまりないので、雨の中ボートに乗って水上集落へ移動する。着く頃にはズボンもびしょぬれである。

ごく普通の民家の中が見られるのだが、パソコンやビデオデッキなども当然のように並んでいる。外に出なければ水上集落だとはまったくわからない。それもそのはずで、ブルネイの水上集落は土地がない人が住むのではなくわざわざ好んでここに住んでいるのであり、貧しい人たちではないのだ。

手作りのお菓子でもてなしてくれるのは旅行社が提携した家だからかと思っていたが、実はそうではなくて、提携していない家にいきなり行くとあまりに手厚い歓迎でなかなか帰らせてくれず、他の場所の見学時間がとれなくなるからだそうである。

オマールモスク

先代の国王が建てたオマールモスクの前で記念写真を撮る。

ロイヤルレガリア

雨も一段落し、ボートで水上集落のまわりをぐるっと回った後、ロイヤルレガリアへ行く。ここも博物館のようなものだが、王族に関するいろいろなものがまとめられている資料館である。

現在の国王はかなり男前でスポーツも万能、普段から自分で車を運転したり飛行機も操縦したりするそうだ。即位の時や、即位25周年の時に使われた巨大な人力車や衣装、第1夫人と第2夫人の衣装なども飾られていた。

これでローカルツアーは終了。ガイドさんの話を聞いているうちにブルネイの印象がずいぶん変わった気がする。大きな犯罪もほとんどなく、外国人労働者も暮らしやすいこの国に住んでいる人はかなり幸せそうである。

でも、旅行者には物価が高いな。

さよならブルネイ

食堂でなかなか美味しいマトンカレーを食べ、宿に戻る。荷物をまとめてチェックアウトとし、ホテルの送迎サービスで空港へ。ついにブルネイ出国だ。

空港でも床で賭けトランプをする広東人の洗礼を受け、機内に乗り込んでやっと静けさを取り戻すと程なく出発。ロイヤルブルネイ航空のフライトアテンダントの女性の制服はなかなかおしゃれである。

再びマレーシア

旅行の最初に夜あかしをしたクアラルンプール国際空港に再び到着。日本から予約したホテルへタクシーで向かう。

このホテルは空港からは比較的近いものの、クアラルンプール市街からはかなり遠いところにあり、市内観光する人はまず使わない。そのかわり、最近F1グランプリが行われるようになったサーキットに近いので、そのときには繁盛しているようである。料金表にもF1レートがあるくらいだ。

サーキットとともにホテルも新しいので、居心地は最適だ。しかし、22時過ぎについて朝9時に出発するので心地よさを堪能している暇はないのが残念。



2001年05月08日(火)

[天気: はれ] (クアラルンプール) 6,810歩

最終日

旅行最終日である。最終日とはいっても今日は飛行機に乗って成田に戻るだけで、楽しいことは実質的に昨日で終わっているので、なんだか寂しい気分だ。

朝食はホテルの前にあるムスリム経営のレストランで食べる。 同居人はマレーシア最後の食事で美味しいナシレマに出会えたようで喜んでいた。

ホテルをチェックアウトして空港へ向かう。広くて空いた道を車はとばす。空港ではチェックイン、出国手続、ボーディングと、いつもとまったく変わらない様子で進んでいく。

11時、クアラルンプール出発。さよならマレーシア。

成田空港天候悪し

途中結構揺れたものの、いつも通りのフライトで、機内食のデザートがアイスクリームで快適だった。

着陸の段階になって、外は雲で真っ白になる。成田は雨で、上空のコンディションはあまりよくないようだ。機内の画面にうつしだされる現在の高度はどんどん下がっていくのに、窓からは地上が全然見えない。どうなるのかと思っていたらふっと雲が切れて下が見える。しかしそのときには地面が目の前。地面が見えてから着陸するまでは10秒もなかった気がする。

操縦席からはどう見えていたのだろう‥‥。

成田エクスプレスで帰宅。



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